NPO法人 日本・雲南聯誼協会
 
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    峰尾勝美さんからの寄稿
■始まりはインドだった

 1983年と86年、インド=ヒマラヤの登山計画を立てて、インド北西部のカシミールからラダック地方を旅したことがあった。
 初めて接した「世界の屋根」の迫力にも感動したが、それ以上に心を奪われたのは、過酷な環境の中でひたむきに暮らしている現地の人々の姿だった。中でも子供達の明るくたくましい姿は特に印象に残った。彼らは大人と一緒になって働いていた。学校に通う子供にも出会ったが、彼らの学用品は小さな石版だけだった。途中で訪ねた学校は、青空の下、草原の中が教室だった。そして、行く先々で逢う子供達が一番ほしがったのは「ペン」だった。ペンを欲しがる子供達が沢山いるということは、「何と素晴らしいことなんだろう。」と、心から思ったものだ。

 こんな経験から、漠然とではあるが、アジアに住む一人として、「もっとアジアを知りたい」、そして、アジアの子供達の、「学ぶ意欲」に形のある手助けがしたい、と考えるようになった。 雲南への思い  その後、モンゴルへの途中に立ち寄った北京をきっかけに、中国への魅力に取り付かれた。初めての北京では、広大な歴史建造物が、そのまま「中国4千年」の歴史を物語ってくれたし、近代的ビルの谷間では、胡同の雰囲気を残す家並みがどこか懐かしい気持ちにさせてくれた(この雰囲気は、その後北京を訪れるごとに消えていったが)。
 1997年8月、夜の昆明空港に着いた。蒸し風呂の中のような上海にくらべて、雲貴高原の雲南省々都はさわやかだった。この旅で、私が楽しみにしていたひとつは、ヒマラヤ山脈の東、横断山脈の山々を眺めることだった。  カルスト地形のポリエ(溶食盆地)と思われるいくつもの窪地をなだらかに越えて訪れた石林では、乱立する奇岩に目を見張ったり、カラフルな民族衣装をまとったサニ族のおばさんがいる土産物屋をのぞいたり、新鮮な感動を受けた。がしかし、どこまでも続くテラロッサの赤い大地の向こうには、期待していた山の姿を望むことはできなかった。ガイドに私の希望を告げると、車で1日行程の麗江まで行かなければ無理だという。麗江の街からは、玉龍雪山が間近に望めるそうだ。
 この旅以来、いつかは麗江へ、さらに、この地に集中するアジアの大河を遡り、横断山脈の峰々に近づきたい、という思いが生まれた。
 そして、2000年の北京から烏魯木斉までの列車の旅では、改めて中国の広さを実感した。同時に、乾燥した大地で額に汗して生活を営む人々と、子供達の屈託のない沢山の笑顔に出会い、薄れかけていた「インドでの夢」を私に思い起こさせる旅でもあった。

■協会との出会い

 シルクロードを旅した年の6月、日本・雲南聯誼協会設立の新聞記事が目に留まった。そこには、日干し煉瓦で造られた学校を背景に、現地の子供達とこれを提唱した初鹿野恵蘭さんの写真と共に協会設立の趣旨が記載されていた。雲南省の経済的に恵まれない地域の子供達のための教育支援活動を進めたいという。
 この記事をみて、これまでの旅先で出会った子供達が思い出された。ペンを欲しがったラダックの子供達、吐魯番の高昌故城で土産物を売っていた女の子の笑顔、石林の帰りに突然立ち寄った我々に、いやな顔ひとつせず不自由な体をベッドから起こして家に招き入れてくれた若者、そのほか、沢山の子供達の姿が浮かんだ。
 そして、あこがれの横断山脈の地域との交流組織が、地元、八王子に設立されることに喜びを感じた。この組織を通してであれば、目に見える形の教育支援ができるのではないか。未知の山岳地帯に生活する少数民族の子供達とも交流してみたい、そんな思いで設立総会に出席したことが聯誼協会との出会いとなった。
 それから3年、私は微々たる協力しかできなかったが、協会の活動は大きく発展した。初鹿野恵蘭理事長の、常に前向きな姿勢を、沢山の素晴らしいスタッフが支えた。3つの小学校を建設・医療視察と支援・雲南大学での経営工学セミナーの開講などが推進された。大きなプロジェクト以外にも、中国や雲南の文化の紹介や交流、雲南の秘境の旅、会員相互の親睦を図る様々なイベントが開催され、着実に活動が展開されていることは嬉しい限りである。

■これからの夢

 2003年6月、協会はさらなる活動を展開するため、その拠点を八王子から都内に移した。
 そして、「12の小さな夢のプロジェクト」をスローガンに、新たな教育支援活動をスタートさせた。雲南省の辺境地域に住む少数民族の子供達のために、12の小学校を建て、各学校に、その地域の少数民族の言語が理解できる教師を一人は配置する「一師一校」を基本方針におくという。篤志家の協力を得て、このプロジェクトの最初となる、4校目の小学校建設の見通しも着いたと聞く。
 これらの活動に対して、私は、ささやかな協力しかできないが、「日本文化の源流の地」ともいわれる雲南との友好に、息の長い協力をしていきたいと思う。
 現地を訪れて、横断山脈の峰々を眺めながら、沢山の子供達の笑顔に接したい。また、将来は、協会誕生の地である八王子に、その証となる活動拠点を築く協力ができないか。最近では、そんな夢を広げている。

峰尾 勝美(聯誼協会会員)
 


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  更新日: 2008年1月10日 17:57 copyright