NPO法人 日本・雲南聯誼協会

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交流活動

    傷跡なお深く・・・四川大地震被災者救済募金贈呈のご報告

2008年11月12日〜15日、初鹿野恵蘭理事長、東京本部スタッフ七田、法人会員JR総連執行副委員長の萩原光廣さん、会員の平田栄一さんの計4名 が、四川大地震被災者救済募金を届けるため、四川省に赴きました。
この募金は今年5月12日に発生した四川省大地震を受け、当協会で同月14日から9月末まで、HPやお知らせを通して会員や関係者に呼びかけたもので、約600万円のご厚志が集まりました。

当初、この支援金を小学校の再建に充ててもらうことを希望していましたが、事前の四川省政府および大使館、被災地へ行った方からの聞き取りから、既に小 学校や中学校の再建資金として政府の資金と世界中からの支援が集まっていることが判明しました。さらに、現地四川省政府より、現在再建のめどはたっていな いが、将来的に再建すれば子どもたちにとって大きな財産となるであろう四川省綿陽市青少年活動センターへの資金提供についてご提案がありました。
そこで、四川省綿陽市青少年活動センターの再建費用として贈呈すべく、被災地および青少年活動センターを視察しました。

四川省及び線陽市の位置 

北川に向かう途上で  こんな
大きな石に直撃されたら怖い!

11月13日の朝9時、乗用車2台に分乗し一路綿陽市中心部より北部北川チャン族自治県へと向かいました。72キロ、1時間半ほどの道のりで北川県の元県城(県の中心地)に到着。
建物の外見には損傷がほとんど見られない綿陽市中心部を出て、しばらくすると車窓からは崩れた農家や、建設中の建物などが見えてきました。安県を通る頃 には、道路の両側にびっしりとレンガが積まれ、「救災」の文字が入った政府提供の仮設テントが多く見られるようになりましたが、テントはこれから来る冬に 向けて、防寒対策が急務とのことでした。また、青い屋根でプレハブの仮設住宅もかなり多く見られました。



町にはまだ地震の傷跡が
至る所に残っています
仮設のテント 道路にはみだして
建てられていてとても危険

話によれば、住宅の再建のために、政府から1家庭につき数万元(数十万円)が支給され、住宅が完成した段階でプレハブの仮設住宅を出るのだそうです。  しかし、農村地域の住宅の再建は、レンガを積んでセメントで外壁を塗っただけの造りがほとんどで、もう一度大きな地震が発生すれば、同様に崩壊することが 容易に想像できました。政府では鉄筋入りの住宅を推進しているようですが、実際に鉄筋を入れて建設しているように見えた家はごくわずかでした。資金の不足 や農民たちの知識不足、資材の不足等さまざまな理由があるのでしょう。

■北川県の様子
北川県の県庁所在地には、元々と3万人ほどが生活していて、そのうち1万人以上が少数民族のチャン族だそうです。山のちょうど斜面に建っていた北川中学 は、2900人ほどの生徒・教員がいた大きな学校でした。600人以上が建物の下敷きになるなどして命を落とし、日本のニュースでも、多くの子どもたちが 生き埋めになった状態だと大きく報道されていた中学です。
地震の後、感染症の蔓延を懸念した政府が、この町を完全に閉鎖し、立ち入りを禁止したため、私たちが行った際にも中に入ることはできず、山の上からの視 察となりました。政府の方の話によれば、このあたり一帯をそのまま保存し、将来的には地震博物館とする構想とのこと。もともとあった県の政府機関や学校等 は、隣の安県に移転し新しい町をつくり、その土地は北川県へと譲渡されるといいます。
山の上からでしたが、無残な町の状態を眺めていると、当時の状況がありありと目に浮かぶようで、想像すると背筋がぞっとする思いになりました。

 

大地震の前の美しい賑やかな北川の町
地震後の悲惨な町の様子 更に9月に
起きた土石流で町が埋まっています
土石流の後、町は完全に
沈没してしまいました
北川区震源地 困難にあっても
屈しないたくましい高齢の女性


テント生活の様子

とあるお宅を拝見
被災地から逃げてきて生きているだけでも幸せと語るおばあさん
こちらのご家族は、一つのテントで
6人が生活中 厳しい冬を越すのは
とても心配です
地震で壊れかけた家でも未だに
離れられない人達もいるようです
地震半年後も壊れた庭にいる
幼い子どもがいたいけです


■ 仮設小学校
プレハブの仮設住宅が何百とならぶ地域の一角には、プレハブの小学校もありました。中には、親を亡くした子もいるとのことでしたが、全体的には元気いっぱい。ちょうどお昼時で、子どもたちは笑顔でご飯をもりもりと食べて活気溢れる学校のように思えました。
子どもに話を聞くと、「(仮設住宅は)地震の前よりも綺麗なおうち。映画スターも学校にきたよ」と無邪気な答え。 政府の政策では、住民の住宅や学校施設、政府関連施設は第一期の復興政策に盛り込まれていて、資金面ではすでに再建の準備ができているそうですが、いつごろ新しい家や学校に戻ることができるのかは不明でした。

プレハブで出来た学校
子どもたちは元気一杯で
校庭で走りまわっています
子どもたちは大人よりも食欲旺盛!
給食をもりもり食べています
教室の中には真新しい
机が並んでいました


■綿陽市青少年活動センター
次に支援先となる青少年活動支援センターを視察しました。 綿陽市の青少年の課外活動(スポーツ、芸術、交流、イベント)を行ってきたセンターも、大地震により建物が使えなくなり、活動もストップしたままです。政府の復興政策のうち、第二期に分類されるため、未だに資金が集まっておらず、再開のめどがたっていないとのこと。
活動センターは市の中心部・富楽山風景区に位置し、総面積は268アールで、本館・研修所・附属動物園からなっていました。計画によれば、2010年12月の再建完成を目指し、現在資金を集めているところだそうです。
今後、新しい施設として500人を収容できる宿泊施設を設け、国内外の青少年が交流を行えるような施設とし、地震後の心のケアについても活動センターが中心になり、行っていきたいとのことでした。

綿陽市青少年活動センター
入り口の様子
子どもたちの姿が消えたセンター
内部は壁、天井がはがれたまま
外側の通路には屋根瓦が散乱していて
とても歩ける状態ではありません
建物の外壁も剥がれ落ちています


募金贈呈式
視察を終えて綿陽市内に戻った一行は、支援金の贈呈式に臨みました。今回は、皆さまからいただいた支援金のうち、500万円を贈呈しました。
綿陽市青少年センターの主任からはセンターの概要について説明があり、また綿陽市副市長からは募金へのお礼のお言葉をいただきました。
現在、四川省には多数の支援金が寄せられているそうですが、副市長によれば、そのほとんどは使途がわからず、目に見える形での支援として現れにくい、今 回のように、支援する側が実際に現地に視察に来て、支援先を確かめた上で資金を渡してもらえたことは大変良かったとのお話がありました。
これは、なにより、日本側で募金をして下さった一人ひとりの方に対してもきちんと説明ができる最良の方法だったのではないかと思います。センターが今後、綿陽市の子どもたちにとって大きな役割を担ってくれることが期待されます。

寄贈目録を受け取る初鹿野理事長
左は青少年センターの主任
皆さんで記念撮影
理事長の向かって右が綿陽市の副市長


■視察を終えて
被災地の状況は、まだまだ復興にはかなり時間がかかるという印象を持ちました。崩れたままになっている建物も大変多く、人々の生活も非常に切迫しているように見受けられました。
支援はいくらあっても足りるようには思えませんが、私たちの送った支援金が子どもたちの役にたってくれることを祈るばかりです。

【協力機関(敬称略)】
中華人民共和国駐日本国大使館領事部 総領事・許沢友 領事・劉敬師
四川省人民政府僑務弁公室 副主任・張継勇/国外処処長・洪革/王凌萍
綿陽市人民政府 副市長・孫波
綿陽市委員会、総工会 主席・王倩
綿陽市共産党青年団 書記長・廖雪梅/副書記長・黄駿
綿陽市青少年活動中心 主任・伍軍/教員・顔暁亜(カメラマン)
【支援金贈呈式及び視察旅行参加者】
萩原光廣、平田栄一、初鹿野恵蘭理事長、七田怜東京本部スタッフ



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