NPO法人 日本・雲南聯誼協会

 

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交流活動
2011年05月20日

震災支援プロジェクト第1弾―雲南の想いを宮城県女川町へ

震災支援プロジェクト第1弾―雲南の想いを宮城県女川町へ

 

 

藤教育長「校外活動や食事費に充当」と謝意


5月20日、初鹿野理事長ら3名が東日本大震災で甚大な被害を受けた宮城県女川 町災害対策本部を訪問。雲南省政府関係者や多くの市民からの義捐金50万円と子ども達からのメッセージを届けました。遠藤定治教育長は「校外での活動費や その際の食事費に充当したい」と感謝の意を表明。これを受けて初鹿野理事長は、「双方の小学校で花や野菜の種を交換し花を咲かせましょう」と提案、梶谷美智子第二小学校校長も快諾。今後、協会が支援している雲南省の子どもたちとの交流に期待を滲ませました。

午後1時少し前、女川町立第二小学校(災害対策本部)に到着
校庭には元気に遊ぶ子どもたちの姿も見られました
雲南省の子ども達からの絵やメッセージについて説明する初鹿野理事長

会員や雲南の皆さんからお預かりした募金の一部が、教育寄付金として女川町の遠藤定治教育長へ手渡されました

 

 

藤教震災孤児は3世帯5名、町民の10%が被災も教育復興へ胎動

 

震災被害の説明をする遠藤教育長。
ほとんどの子どもが被災しました。
梶谷美智子校長。「子どもたちの心のケアについても注意深く見守りたい」


一行の訪問先は、町役場が被害を受け行政機能を移している女川町立第二小学校に設けられた災害対策本部。遠藤教育長、梶谷校長、中郡秀吾教育総務課長の出迎えを受けました。協会からは佐々木英介会員と大越恭治広報・文化部長が同行しました。

冒頭の遠藤教育長の説明によりますと、人口約1万人のうち、生存が確認されたのは9002人でうち死者475人、行方不明者580人にものぼり町民の約 10%が被災。人口を上回る被災者数の多くは観光客や仕事での来訪者とみられています。被災者の8割以上が自宅にいたご老人で、ここ150 年ほどで4回襲った津波被害の経験から「ここまで津波は来ないだろう」との安心感から津波に巻き込まれたとのことです。津波で流出した家屋は7割に上り、 8割以上の家屋で半壊などの被害が発生。

児童の犠牲者では第1小学校の2名と第1中学校の生徒2名が行方不明でしたが、児童1名が遺体で発見されました。しかし、3名は現在も行方不明です。両 親を亡くした震災孤児は3世帯5名で、近隣の町や県外の親戚に引き取られています。さらに、県内の大崎市や秋田県仙北市に10名の児童が第二次避難で町を 離れています。震災翌日に卒業式を控え、その準備に慌ただしかった教職員全員の無事が、今後の教育復興への何よりの力になります。

町には公立小3校と中学2校の計5校がありますが、第1小学校は現在も住民の避難所になっており、第1中学校に第1小学校と第2中学校が入るなど震災前 とは状況が一変しています。しかし、4月12日に入学式や始業式がほぼ例年通りに行われましたが、そこには「復興のために教育が立ち止まってはならない」 との重い決意がありました。

気になる子どもたちの心のケアですが、県や山形県からもスクールカウンセラーが常駐。町による最近の保護者へのアンケートからは「大きな問題はなく、少 しずつですが日常を取り戻しつつあります」と梶谷校長は安堵の表情に。6月11日に3小学校合同で開かれる運動会では、校庭一杯に子どもたちの歓声が響く のを「今から心待ちにしています」と思わず笑顔になりました。


初鹿野理事長「今度は我々が支援する時」。メッセージ手渡す

 

代表して参加した6年生4名が、夢を笑顔で語ってくれました(右から=佐々木君、半澤君、勝又さん、平塚さん)
日本ユニセフ協会や企業などが支援して開館した「ちゃっこい絵本館」

近い将来「雲南の絵本も並べたい」との理事長の話に賛同の声が上がりました


遠藤教育長らの震災に関する現況を受け、初鹿野理事長は改めてお見舞いの言葉を述べました。その後、雲南の子ども達が一生懸命描いた絵に添えられた日本 の子ども達のメッセージを説明。震災特集を組んだ37号の会報紙や協会創立10年誌「笑顔を君に」などを通して協会の教育支援事業を紹介しました。「これ まで雲南省の少数民族の子どもたちに小学校を建設するという教育支援を継続できたのも多くの日本人の善意でした。今度は我々が支援する時です」との初鹿野 理事長に対し、「大変立派な活動をされている協会で尊敬しております」と遠藤教育長から謝意が述べられました。第二小学校を代表して6年生4名の児童が加 わり、理事長からメッセージの数々が子ども達の手に渡されました。

佐々木崇人君は「プロバスケット選手になりたい」と将来の夢を披露すると、半澤恭平君は「サッカー選手に」、勝又沙季さんは「お花屋さん」、平塚三奈さ んははにかむように「デザイナーになりたいです」と将来の夢を語ってくれました。その後、教育寄付金が初鹿野理事長から遠藤教育長の手に渡され、「特に校 外での勉強の機会に活用させていただきます」との使途の方向性を表明。「5年ほど前に昆明を旅行して感動しました」と言う遠藤教育長の話に一同、不思議な 「縁」に驚きもしました。

梶谷校長は、すでに子どもたちがトマトの苗を植えているプール傍の菜薗に「自分たちが育てた野菜や花など、子どもたちに収穫の体験をさせてあげたい」と の思いを吐露。初鹿野理事長は「そうであるなら是非、双方で花や野菜の種を交換して育てましょう」と応じ、これを機会に、雲南省の子どもたちとの末永い交 流に関する提案に対し快諾を得ました。

この後、日本ユニセフ協会や企業などが支援して開館した「ちゃっこい絵本館」を見学。全国から寄せられた蔵書5000冊が整理され、近々貸し出しが始ま ります。向かいの学校図書館には8600冊余りの蔵書のほかに、全国から送られてきたまだ仕分けが終わらない3000冊の書籍が置かれていました。


最大規模の津波「消えた町」の様相に衝撃

 

被災地を背景にショックの理事長。帰りのタクシーで熱を出してしまった
壊滅的な被害の女川町の様子。
凄まじい津波の威力を思い知らされる
海岸から500メートルの地点まで押し流され、放置されたままの漁船


震災でダメ−ジを残す仙台駅からタクシーに乗り込んだ一行が見たモノとは―。高速道路を石巻市で降りると、押しつぶされ逆さまの車が散在するガレキの山 や津波で破壊された家屋の無残な姿が道路の両側にどこまでも続いていました。興奮してカメラのシャッターを切る我々に運転手さんが「これから先もっと凄い 現場に行きますので」と落ち着くように促します。その発言は、まさに現実のものとなりました。

震災の被害を免れた奥深い石巻湾を抜けると、目を疑う光景が飛び込んできました。女川町です。道の両側には鉄骨だけが剥き出しの建物が散見されるだけで、 基礎だけを残した住居跡がどこまでも続きます。町の中心部である石浜、宮ヶ崎、大原、清水、鷲上地区が全壊と報道されたように、30近い大津波に襲われ まさに「町が消えた」様相に一同ショックで声が出ません。港には巨大な燃料タンクが流されて横倒しに。最後まで防災無線で住民に避難を呼びかけ犠牲になっ た女性が放送を続けた建物が痛々しい姿を残していました。

震災後2カ月を経た今もガレキの山々が放置される様は、被害規模の甚大さを裏付けています。タクシーを降りると強烈な異臭と埃が我々を襲ってきました。水 産加工場が連なっていた建物が全壊し、ガレキに埋まった鮮魚や加工魚の腐った臭いと思われ、小さな蠅がうるさくまとい付きます。海岸から500はあろう 道路脇に取り残された魚船の姿が、大津波の恐怖を物語っていました。120の地盤沈下があった地域では、今でも満潮時に浸水するなど、震災の後遺症は 続いています。

町では8月を目標に「女川町復興計画」の策定を進めており、5月末にかけて町民との意見交換会を4回開催します。幾多の困難が予想されるなか、「安心と希望」をもって復興への動きが始まったことを何よりも心強く感じました。


中国人研修生救った佐藤氏の行動−温首相も訪問を打診


家や車も跡形なく押しつぶされています。街中いたるところに広がる光景。


中国人研修生を救助後に津波にのまれ亡くなった佐藤氏の務めていた佐藤水産の現状。中国で感動の輪が広がった場所は余りにも無残な姿でした。


地震発生時、津波の知識を持たない大連からの中国人研修生約20名を先に神社に避難させ、自ら高波にのまれ犠牲になった佐藤水産専務の佐藤充氏。中国国 内でも大きく報道され感動の輪が広がりました。遠藤教育長に地図をいただき、佐藤水産の場所をようやく探り当てましたが、生ウニなどを首都圏に出荷してい た工場建屋は跡かたもなく崩壊。ガレキの中からかろうじて佐藤水産の社名が入ったプラスッチク製のカゴが見つかり確認できました。研修生が難を逃れた神社 がひっそりと背後の小山に佇んでいるのが妙に印象的でした。

中国の温家宝首相は日中韓首脳会議で来日する機会に、こうした佐藤氏の行為に感謝の意を示すために同町訪問の意向を日本政府に打診するなど、注目を集め ました。10年以上前から受け入れていた約160名いた中国人研修生の犠牲者は1人も出ませんでしたが、行方不明だった佐藤氏の遺体はこのほど工場のガレ キの中から発見され、悲しみを新たにされたということです。合掌。

遠藤教育長によりますと、佐藤氏は町の教育委員会の委員を務めており、研修生を町の盆踊りに参加させ成人式にも招待、弁論大会を企画しその文集を作成するなど中国人研修生をなんとか女川の町に馴染ませようと献身的に活動し研修生からの人望も厚かったと言います。

協会の「震災支援プロジェクト」第1弾は、協会の活動を支えてくれる多くの日本の皆さまに感謝の意を示すには、こうした女川町の置かれた特性にも配慮し 実施されました。初鹿野理事長は、「会員の皆さまを始め役員顧問、理事の皆さまにこの場をお借りし改めてご報告させていただきます」としています。


報告=大越恭治(協会・広報文化部長)




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