NPO法人 日本・雲南聯誼協会

 

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交流活動
2011年07月20日

東日本大震災支援交流プロジェクト第2弾!

雲南の想い、宮城県亘理町長瀞小学校に届く

震災支援交流プロジェクト第2弾―宮城県亘理町長瀞小学校訪問

 


7月20日、台風6号の接近による荒天の中、雲南や日本の方々からお預かりした支援金と少数民族の子どもたちが書いてくれた“激励メッセージ”を宮城県亘理(わたり)郡亘理町立長瀞(ながとろ)小学校へ届けた。

亘理町は人口約36,000人。仙台市中心部から南へ26km、太平洋に面した農業と漁業の町である。特産の「いちご」は生産量が東北随一で、近年は地の利を生かした工業団地「亘理中央地区工業団地」の開発で町の活性化を進めている。3月11日の震災では、海岸線に平行して3km以内にあった住宅や農地のほとんどが被害を受けた。海岸線から3kmほどの内陸側に設けられている高速道路が堤防となったおかげで、津波はそこで止められた。犠牲となった町民は256名。4ヶ月を経た現在、被災地域の街路はほぼ整理されているが、破壊された人家や道路が随所に残され、特産のいちご畑は壊滅状態のまま放置されていた。

太平洋に面した「荒浜地区」は津波でほぼ全壊。破壊された住居と1本だけ残った立ち木が破壊の酷さを物語っていた
長瀞小学校には現在も津波の痕跡がくっきりと残っている
津波でめちゃめちゃになった印刷室
 


海岸線から2kmの近さにあった長瀞小学校は校舎の1階部分がすべて水没。現在、亘理町立吉田中学校に“間借り”している。被害を受けた校舎は全国から駆けつけたボランティアの手によって清掃作業が行われているが、関係者の話では、町の復興計画が定まらないなかで、学校再開がいつになるのか先が見えない状況である。今年度の卒業式と来年度の入学式は“間借り校舎”で行うことが決まっている。

亘理町役場も被災し、今は仮設のプレハブで業務が行われています
斎藤邦男町長。「支援金は学校と相談し、有意義に使わせて頂きます」

 

正午過ぎ、長瀞小学校訪問に先立って亘理町役場に斎藤邦男町長を表敬訪問。庁舎を訪ねてみると入り口は閉鎖され立ち入り禁止。町職員によると、大震災発生以前に既にかなりの老朽化が進んでいたそうで、今回の地震によって倒壊は免れたものの使用不能となり、仮設のプレハブ建築で業務を行わざるを得ない状況だという。そのプレハブ事務所で斎藤町長が多忙なスケジュールを割いてわれわれを笑顔で迎えてくれた。「震災以降、国内海外の各地から暖かい支援と激励を受けました。今回、雲南省の方々から同様の支援を頂戴し感謝しています。支援金は学校と相談して有意義に使わせていただきます」と初鹿野理事長に謝意を伝え、早々に長瀞小学校訪問の便宜をはかってくれた。

午後1時過ぎ、町職員の岩泉文彦氏の案内で間借り中の長瀞小学校を訪問。渡邊清孝教頭先生に支援金を贈呈。学校代表の8人の6年生に雲南省の小学生が書いてくれた励ましのメッセージを手渡した。代表の8人は贈られたメッセージに興味津々。書かれている内容を説明すると「うん、うん」と笑顔で頷き、中国語の「加油」をすぐに覚えてしまった。この日は1学期の終業式ということで短時間の対面だったが、明るく、元気な声でわれわれに感謝のことばを述べて教室に戻って行った後ろ姿に救われる思いがした。

 

子どもたちは、雲南からのメッセージに興味津々
教育支援金が渡邊教頭先生に手渡されました
渡邊先生によると、津波の直後から約800名が10日間も体育館で孤立した状態におかれたといいます。当時の経験は今もなお、子どもたちの心に深い傷を残しています

 

渡邊教頭先生によると、地震直後に約200名の生徒が父兄とともに自宅に避難したものの、津波が目前に迫り、学校の判断で自宅避難を中止。一段高い場所にある体育館へ避難した。まさに「時間との戦い」だった。50名ほどの児童とその父兄、学校職員、さらに付近の住民など約800名が小学校に取り残され、以後10日間ほど体育館で孤立した状況に置かれた。震災翌日から教員は生徒の安否確認に追われた。幸いなことに生徒や先生の中に犠牲者はなかった。だが、津波に巻き込まれて流され高速道路の土手に自力で泳ぎ着いて九死に一生を得た生徒、目の前で家族を亡くした生徒、家を失った生徒……、生徒の心の傷は計り知れない。学校ではクラス担任を2人にして常に生徒の側に先生がいられる体制を作り、短期長期のカウンセラーを配置するなど、生徒の心のケアに細心の注意を払っている。その一方で、救出されるまでの避難生活の中で、生徒たちは掃除をしたり、お年寄りの世話をしたり、「自分たちでできることをやろう」と自主的に手伝いをしたという。この話を聞いて、子供たちに「生きる力」が立派に育っているように感じた。

 

かつての職員室。今は見る影もありません
校内には、片づけを行うボランティアの姿もありました


落ち着きを取り戻した現在、生徒の多くが「できることなら3月11日以前に戻りたい」と心のうちでは願っているという。いつ本来の学校に、以前と同じ生活に、戻ることができるのだろうか。先行きの予測がまったくつかない中で生徒も、先生も、町民の方々も懸命に闘っている。渡邊教頭先生の「子供たちとともに一歩一歩進んで行きたい」の一言に明るい思いを抱いた。一市民として、一過性の支援で終わることなく、長瀞小学校の生徒たちを今後も「見守り続ける」ことが大きな支援につながるような気がした。

報告=平田栄一(協会会員/昆明特命支部長)



【協会代表訪問者】初鹿野惠蘭理事長、新井淳一顧問夫妻、近藤釼一名古屋支部長、佐々木英介会員、平田栄一会員、佐伯義博会員(仙台在住/当日車をご提供くださいました)



【追記】2011年7月21日付の日経新聞朝刊社会面にて、訪問の様子が報道されました。こちらをご覧ください。 

【追記】2011年10月31日、長瀞小学校6年生の皆さんからのお手紙が届きました


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